雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

十二月

 とうとう十二月に入った。それを待っていたように天気も時雨て、今日は冷たくて暗い雨が降っている。 せめて部屋の中は暖かくしようと、今日から火鉢に炭を熾し、やかんがシューシューという音を聞いている。

 今読んでいる串田孫一の「記憶の道草」(幻戯書房 2015)という本に「長火鉢」という一文があり、火鉢のある座敷の趣きが伝わって来る。

(略)一昨年までその家のお年寄りが使っておられた六畳の日本座敷は、廊下をかなり歩いて奥の方にあり、離れ座敷という感じだった。そこをすっかり片付け、親しいお客があった時には使うことにしていた。

 畳に座布団、障子に射す冬の光。常時二十三度を保つ暖かい部屋で生活をしている者にとっては、戸惑いがあって、なかなか落ち着けないかもしれないが、日々寒々とした部屋で生活をしていたことのある年齢の者には、確かに懐かしい。

 暖房のための用意は他にもあってその部屋は十分に暖められてはあったが、長火鉢を間にして主人と向かい合い、炭火に手を翳しながら話をしていると、テーブルをはさんで椅子に腰掛けて話をしている時とは、構えも気持ちも随分違ってくる。

 この人は山の方の郷里との関係があって、炭を入手するのには然程苦労はしないと言っていたが、今時こんな事ができるのは大変な贅沢である。日常の生活に長火鉢を使っている訳ではないので、遊びのようなものだが、真似をするとなると容易ではない。

 五徳の上で鉄瓶の湯が沸く音を聞いた。その湯で入れたお茶を飲んだ。炭取りから炭を挟んでつぐ火箸を持つ手も見た。

 私は灰ならしで灰に縞模様を描いた。そしてその間もずっと愉快に話を続けることが出来た。

 外の寒い日に、火鉢に手を翳して炭火を眺めていると心が落ち着く。一人も良し。親しい客と話すも良し。