雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

武田百合子さんのブルーバード

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村夫子然とした泰淳先生と百合子夫人の取り合わせの妙

 武田泰淳の「新・東海道五十三次」(中公文庫、1977初版、2018改版)は、本の帯に「車で往き来した、1969年(昭和44)の東海道周遊記」とあるとおり、東名高速全線開通時前後の東海道を品川から京都まで、武田泰淳夫妻が愛車を駆ってあちこち立ち寄りながら書き綴った本。 元は1969年1月から6月にかけて毎日新聞に連載された。

 この本の主人公はどう見てもドライバーである泰淳夫人の百合子さんである。 泰淳氏はもっぱら助手席で缶ビールをぐびぐび飲みながら、車窓に移る地名を見ては昔の回想にふけったりしているだけで、メインは百合子さんがあっちへこっちへと緻密な計画(?)にもとづき車を進める珍道中から生じる人や物との出会いであるからだ。

 本の内容はこれくらいにして、私の目を引いたのは、この本の帯にチラッと出ている車のお尻と裏表紙の車のダッシュボードの写真。 うん、これはまさしく日産ブルーバードの二代目、それもSSS(スリーエス)ではないか。 当時はまだ女性ドライバーはそれほど多くはなかった時代。 それも若者憧れのSSSに乗っているとは、なんとカッコのいいことか。

 この車には思い出があって、学生時代に京都の友達(大谷大学在学中の坊さんの卵)と彼が運転するこの車で京都市内を遊び回り、路面電車の線路の敷かれたガタガタの石畳の上をほとんど横っ飛びの状態でかっ飛ばしたことがあった。 当時はシートベルトなどなかったような気がするし、あったとしてもつけている人などいなかったから、今から思うと恐ろしい事ではあった。

 武田百合子さんは、「富士日記」(中公文庫、1981)という富士山麓の山荘の日々を綴った印象深い日記の中で、車で東京の住まいと行き来していたことを書いているが、この扉の写真のブルーバードにもちゃんとルーフキャリアが付いていて、きっと車の屋根に布団でも括り付けて走り回っていたのだろうなと想像すると楽しくなってくるのである。

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日産ブルーバード 2代目(1963-1967)