雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

速水融「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」(藤原書店、2006)

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 新型コロナウィルスの脅威が日本に及んで2カ月、とうとう東京都などに緊急事態宣言が出され、身体的リスクのみならず、経済的リスクなどの影響が我々の生活全般に及んできている。 
 そんな中、確か本棚にあった筈、と探し出したのがこの本。 「新型インフルエンザ」とか「パンデミック」という言葉が騒がれていた頃に出版された本であるが、500ページ弱の大著で、出だしだけを読んで本棚に眠っていたものを改めて読んでみた。
 
 本書は、1918年(大正7年)から1920年大正9年)にかけて世界を襲ったインフルエンザウィルスによるパンデミックについて、特に日本における影響を中心に詳述している。
 本書の著者、速水融氏は歴史人口学の泰斗で、昨年12月に自叙伝「歴史人口学事始め」(ちくま新書、2020)を残して亡くなられた。

 著者はスペインインフルエンザを、「人類とウィルスとの第一次世界戦争」と呼び、「人類とウィルスは、お互いが存在する限り戦い合うだろう」と記しているが、まさに現在の世界の状況を見るに、我々がウィルスとの世界戦争の只中にいるという実感を誰しもが持つのではないだろうか。

 この本の特色は、時系列の統計資料が限られる中で、当時の全国各府県で発行された新聞記事を丹念に読み込んで、庶民の受けた感染被害の状況を時系列に再現していること、さらに内務省、軍関係その他の生々しい当時の資料を使い、ドキュメンタリータッチで大正期という当時の日本の世相までも捉えていることである。 一例をあげると、
 
〇(1918年)11月末になると、「感冒猖獗 死亡者続出」といった見出し(『東奥日報』27日付)が躍り、一村で数十名の犠牲を出した。本州最北に位置するこの県(青森県)では、気候の寒冷化も手伝い、他の県同様、市部で下火になった流行性感冒が、郡部で依然として猖獗を極め、罹患者の多くが悲惨な状態に置かれていたことがうかがわれる。最も打撃を受けたのは、北津軽郡の嘉瀬村で、人口6756人のこの村で、11月末までに47人の死亡者を出した。「十月初旬来発生患者三千名に及び現在約五百名の臥床者あり。加之(これにくわえ)益々蔓延の徴候あり。然るに同村は目下村医なきため他村医に治療を求めつゝあるも各村共流行感冒に悩まされて治療困難を極め患者の半数以上は医療を受くるに由なく空しく病褥に呻吟し居る有様・・・」(12月2日付)
〇大正八 (1919) 年は、前年の流行の余韻が残る中でやって来たが、一月末に、福島県会津地方の耶麻郡吾妻村(安達太良山麓)のある集落(人口267人)住民全員が流行性感冒に罹り、降り続く大雪のため交通が途絶し、医師の来診も乞えず、食糧不足も起こり、病気と飢餓により、「二百余名は遂に惨死せり」という報道が遠く離れた『福岡日日新聞』や『京城日日新聞』に掲載されている(1月30日、31日付)。

本書から見るスペインインフルエンザの概要
・1918年の春からの2年間に全世界で約5億人が罹患し、死者は2,000万人から4,500万人。 これは、同時期の第一次世界大戦の戦死者1,000万人の4倍に当たり、記録のある限り史上最悪の人的被害であった。
 日本では内務省の資料で罹患者2,300万人(内地人口の40%)、死者約38万人(死亡率1.7%)。 日本の死者数は、直後に起こった関東大震災による死者数の4倍に上る。

・記録に残る最初の感染者発生は、1918年3月4日、米国カンザス州における米軍兵士の罹患であり(スペインが発祥地ということではない)、折からの第一次世界大戦の戦線拡大に伴い、感染者は軍隊を介して世界各地に拡散。

・日本においては、1918年5月、横須賀軍港内の軍艦においてインフルエンザ患者150名程度の発生が報告されたことを皮切りに、各地の聯隊さらには一般人に広がっていく。

・日本における感染は3回の流行期があり、最終的な収束までに2年間を要した。
 まず1918年(大正7年)5月~7月の「春の先触れ」で、この段階では死亡に至る重篤者はいなかった。
 第二波は、1918年10月から翌年5月頃までで、26万6千人の死者が発生。 これを「前流行」と呼ぶ。(内務省の資料では、罹患者2116万8398人、死亡者25万7363人)
 第三波は、1919年(大正8年)12月から翌年5月頃までで、死者は18万7千人。 これを「後流行」と呼ぶ。(同資料では、罹患者241万2097人、死亡者12万7666人)

・著者は、内務省の記録には不正確なものがあると考え、独自の「超過死亡」(平年の死亡者数を上回る流行期の死亡者数をウィルス感染による死者とカウント)という統計的手法により、日本の死亡者数を45万人と推計している。

・前流行は感染者が多数発生し、その分死亡者も多かったが、後流行は感染者数が少なかったものの重篤化し死亡率は高かった。 

・これは、後流行期には 春の先触れや前流行を経て抗体を持つ人が増えたことにより感染者は減少したが、ウィルスが変異して悪性化し死亡率の上昇をもたらしたと考えられる。
 著者による分析では、例外はあるものの、前流行期に死亡率の高かった県では後流行期に死亡率が低くなり、逆に前流行期に死亡率が低く抑えられた県では後流行期に死亡率が高くなる傾向がみられ、住民の免疫抗体の有無を反映しているのではないかとしている。

      日本におけるスペインインフルエンザによる月別死亡者数

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     (「日本におけるスペイン風邪の精密分析」東京都健康安全研究センター2005から転載)
 
スペインインフルエンザの経験から新型コロナウィルスを考える
・スペインインフルエンザが流行した20世紀初頭にはまだウィルスという存在すらわかっておらず、まさに正体不明の病魔を前に感染者には近寄らず、マスクや手洗いの励行程度の対策しか取れず、そもそも医療体制が現在とは比較にならないほど貧弱であったことから「一家全滅」や「火葬場に棺の山」といった死者数の爆発的増加を防ぐことはできなかった。
 これに対し、現代の医療環境は当時とは天地の差があり、感染しても死亡に至る人が少なくなることは間違いないが、ウィルスの正体がわかっていてもワクチンが開発されていない現段階での対策といえば100年前とたいして変わりないようにも思える。

・そのような中で、私が本書を読んでこれからの新型コロナウィルスの感染の行方を見るうえでも重要となるキーワードとして、「抗体」と「変異」に注目すべきと思う。
 すなわち、感染終息への希望を与えるものとして、ウィルスに対する「抗体」を持った人が増えれば、感染は自然に収束する。
 反対に、ウィルスが今後「変異」して第二波、第三波として再来してきた場合は、収束は長引き、死者の数も増加していく。
 既に発生源である中国の武漢では新規感染者の発生がなくなったと言われているが、これで本当に収束するのか、第二波の襲来はないのかが気になるところである。

・次に現代においては、新型コロナウィルスのパンデミックは身体的・医療的な面にとどまらず、それ以外の我々の社会生活面に対し広範に、また流行が収まってからも長期的に、影響を及ぼし、その影響は100年前とはけた違いに大きくまた複雑になっていることである。
 それはグローバル化した経済への影響として顕著に現れている。 
 外出制限や施設の閉鎖により、飲食業、宿泊業、小売業をはじめとして突如売上がゼロとなる状況が始まり、既に資金繰り破綻や廃業が発生している。 またこれに伴い、非正規雇用を中心に雇い止めや就業時間の短縮による賃金減が個人生活に深刻な影を投げかけている。 いったい、昨日までの人出不足はどこへ消えてしまったのだろう。
 また、経済のグローバル化による人の動きや複雑に絡み合ったサプライ網が詰まり、寸断されて、昔のように自国だけが無関係でいられるような世界ではなくなっている。
 中国の武漢で始まった感染と、それを抑え込むための封鎖があっという間に、(世界に感染の広まる前にまず)サプライ網の詰まりを起こさせ、グローバル経済を機能不全に陥れた。
 NY株式市場は、2月中旬まで記録的な高値を更新し、我が世の春を謳歌していたが、3月23日には2月に付けた年初来高値から37%の下落を記録した。(その後20%下落の水準まで戻している。)

今回の新型コロナウィルスによるパンデミックの経験を将来にどう生かすか?
・今回の新型コロナウィルスによる社会への影響があまりにも急で、かつ広範囲であったことに驚かない人はいない。 我々の社会基盤はこんなにも脆弱であったかということにうろたえるばかりである。
・その原因の一つは、我々が経済効率にもとづく価値判断をあまりに重視し、人間社会における価値基準がおかしなことになっているためではないだろうか。
 例えば、今回の騒動で、日本の医師数(人口千人当たり)が2.4人であり、ドイツやスイスの4.3人には遠く及ばず、医療崩壊に陥ったイタリアでも4.0人、スペインでは3.9人であることが改めて知らされた。 日本医師会の会長は、政府の緊急事態宣言に先立ち「医療危機的状況宣言」を発表しているが、他国に比べ一桁少ない感染者数でもこのありさまである。 図らずも、今回、医療におけるワーストリスクシナリオが現実化したと言うべきである。


・これを書いている時点で、世界の感染者数は171万人、死者数は10万6千人に達している。 今回の経験を活かし、我々がもう少し多面的な価値観をもって生きていくことが必要とされているのであろう。

 

 著者は本書の最終章を次のように締めくくっている。昨年12月に亡くなられた著者が、今の我々が遭遇している新型コロナウィルスとの「第二次世界戦争」を予言し、過去の歴史を知ることによって、その災禍を乗り越えていくことができるという希望を込めてまとめられた本書の存在感がますます高まることと思われる。

〇結論的に言えば、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。「天災」のように将来やって来る新型インフルエンザや疫病の大流行に際しては、医学上はもちろん、嵐のもとでの市民生活の維持に、何が最も不可欠かを見定めることが何より必要である。つまり、まずスペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実際を知り、人々がその時の「新型インフルエンザ・ウィルス」にどう対したかを知ることから始めなければならない。なぜなら、人類とウィルス、とくにインフルエンザ・ウィルスとの戦いは両者が存在する限り永久に繰り返されるからである。

 最後に専門家の意見をひとつ。 
鎌江伊三夫 東大公共政策大学院特任教授のコラムから
     「続2・新型コロナウィルス感染症との闘い-『感染爆発の重大局面』はどこまで重大か」
          (キャノングローバル戦略研究所コラムから抜粋 2020.03.30)
 スペイン風邪は古典的な隔離処置以外、ほとんど有効な対抗手段がなかったが、なぜか数年で終息した。報告された統計から考えると、国民の30~40%が感染すれば、集団免疫(感染後に回復して免疫をもった人が一定以上増えることによって、社会としてウイルスに対する免疫力をもつようになること)が出来上がるのかもしれない。

 その歴史の事実からすれば、新コロナが終息しないのではと懸念するのは悲観的過ぎる。しかし、スペイン風邪の流行の波が3回繰り返された事実からすれば、今回の流行が2~3か月の短期で1回の波で終わるのではと考えるは、楽観的過ぎるかもしれない。

(追記)「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」は近日中に藤原書店から増刷が 発売予定とのこと。