雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

雑司が谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)

 先週上京した時に、以前このブログにも書いた雑司が谷の洋館を訪ねてみた。

 地下鉄の東池袋で降り、半世紀前と同じように雑司が谷墓地を通り抜け、グーグルマップの道案内を頼りに細い路地を行くと、その洋館が現れた。 

 周りには最近建て替えたと思しきモダンな住宅も見られる中で、ここだけは時間が止まったかのように、薄いピンクの下見板張りに緑の窓枠の洋館が、半世紀前にヴィバルディを聴いた日のままに残っていた。

 資料によればこの建物は、明治40年(1907)にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディー・マッケーレブがその居宅として建設し、彼が開戦により昭和16年(1941)に帰国した後、昭和19年(1944)にスタックス工業の林尚武氏が社屋として取得し、同社の移転に伴い昭和57年(1982)に豊島区の所有となり、現在は都指定有形文化財雑司が谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)」として一般公開されている。

 門を入ると、敷地は記憶にあるよりも広く、玄関のドアは開け放たれ部屋の明かりもついているが管理人はいないようで、勝手に中に入る。 

 私がかつてスタックスのコンデンサー型スピーカーでヴィバルディを聴いた部屋は、玄関右手の張り出し窓のある部屋に間違いなかった。 残念なことに、この部屋は部屋の中央に展示資料貼付け用の衝立が立てられて仕切られ、往時を偲ぶものは張り出し窓とその下の作り付けのベンチくらいで、そこに座ってみてもヴィバルディが蘇って来ることはなかった。

ヴィバルディの部屋の奥の食堂

食堂をめぐる広縁

 この建物は、1,2階とも同じような簡素な間取りで、1階は居間(ヴィバルディの部屋)と食堂、キッチンそれに協会事務室、2階はメッケーレブ氏の書斎、寝室、浴室となっている。

1階平面図

2階平面図

玄関内部

ヴィバルディの部屋から玄関へのドア

 百年以上経過した木造建築にしては荒れた感じはなく、補修が行き届き大事に管理されてきたことが伺われた。 しかし、如何せん家具もなく、生活のにおいのしない建物からは、あの半世紀前の、ヴィバルディの鳴り響いていた、夢のような洋館の午後の明るい光に満ちた時間を思い起こさせるものは既に消え去っていた。

setuyaan.hatenablog.com