雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

京都の邸宅を巡る旅

 先週は、「庭屋一如研究会」藤井講師の企画で、京都の非公開の邸宅の見学会に参加してきた。 一日目は、「對龍山荘」と「廣誠院」。 二日目は「蘆花浅水荘」を巡り歩いた。

 對龍山荘は、南禅寺周辺の明治期の別荘群の中でも白眉とされる。1800坪の敷地に書院と茶室を配置し、庭園は東山を借景とし名匠・七代目小川治兵衛による作庭。

写真はいずれも日経新聞WEB版より

 ここは、薩摩出身の実業家・伊集院兼常が別荘として造営し、その後呉服商市田彌一郎が現在の形に増改築したもので、現在はニトリの所有となっている。

 何よりも邸宅と庭園との一体化した作品(庭屋一如)というべきで、書院からの東山を借景とし琵琶湖疎水の水を引き込んだ庭園の眺めが素晴らしい。 若手のしっかりした庭師が庭園を案内してくれたが、周囲の南禅寺塔頭や別荘と一体的に庭園を管理することにより全体の景観を維持していくという壮大な構想を持っているという。

 

 廣誠院は、前述の伊集院兼常が對龍山荘を造営する前に建てた別荘で、二条木屋町高瀬川に隣接し、川から引込んだ流れが庭園に池をなし、流れの上に立つ茶室や薄暗い数寄屋造りの書院からの眺めは洛中にあって明治期の空気を伝えている。(隣地にそびえ立つホテルオークラを目に入れないようにすることが肝要)

 ここは、伊集院の後、明治期に実業家の廣瀬満正氏の所有となり、今回はその孫にあたるご当主と京美人から邸内や庭園の説明を受けることができた。

 

 蘆花浅水荘は、大津(膳所)の琵琶湖畔にあり、大正年間に日本画家・山元春挙の別邸(アトリエ)として建てられた。 昔は庭が琵琶湖に面し、船着き場の跡も残る。 規模の大きな数寄屋造りであるが、マントルピースを供えた洋間や広い画室もあり、春挙の時代にはその弟子や画商の出入りが賑やかであったことが偲ばれる。

春挙の画室

 ここでも春挙の孫であるご当主とよく喋るご老人から説明を受けた。 しかし、ここも周りにマンションなどが建ち、埋め立てにより琵琶湖の眺めも遠く離れ、風景の中で昔を偲ぶことは難しくなっているのを感じた。

 

 さて、今回の見学会で訪れた三邸の中では、やはり何といっても對龍山荘が立派で見どころも多かった。大企業が金に糸目をつけず邸内には骨董品や調度品をしつらえ、庭は松の枝の一本一本にまで神経を尖らせてきれいに磨き上げた「作品」といえる。

 これに対し廣誠院と蘆花浅水荘は、スポンサーのない中で屋敷や庭の維持管理には苦労している様子が伺えた。しかしその一方、父祖の残した邸宅と庭園を慈しみながら守り継いできた人達の思い入れが強く感じられ、親近感を覚えるものである。

 

 久しぶりに訪れた京都であったが、もうすっかりコロナ以前に戻っており、街の中はどこも観光客でごった返していた。 中国人観光客の姿はまだ少ないようであったが、欧米からの観光客が多いのが目立った。 旅行の間は連日最高気温が33度~34度と9月の終わりなのに真夏並みで、一日の見学が終わる頃にはへたばってしまった。

お祭りのような京都駅構内の眺め

 あれから1週間ちょっとしか経っていないのに、もう一足飛びに秋を通り越して初冬のような時雨模様のこの頃である。