雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

先代ご住職の思い出

 我が家の菩提寺浄土真宗大谷派)の先代ご住職が先日亡くなられた。 97歳であった。 先代は息子に住職の座を譲り渡した後も、10年くらい前までは自転車に乗って檀家回りをされていた。 誠に質素な生活をおくられた方で、何十年と使い古したと思しき赤皮のカバンに袈裟や経本を入れて持ち歩いておられた。 決して高い所から教え諭すようなことはなく、檀家の者たちといつも同じ目線で、時事問題も含め、ご自分の意見も挟みながら、親しく、ときには時間も忘れて話をされておられた。

 私は当時はまだ仕事に出かけていたので家内がもっぱら先代のお相手をしていたが、家内が印象深かった話として覚えているのは、先代が旧制長岡中学(現長岡高校)の学生の時代に母校の先輩である帝国海軍の山本五十六元帥が講演に来られた時の思い出話である。それは昭和14年、既に日本全体が太平洋戦争に向かって突き進んでいた時代であった。

 元帥の講演が終わった後、一人の学生が手を挙げて次のような質問をした。

「元帥、私は今の我が国の情勢に見るに、志願兵としてお国のために立ちたいと思っております。しかしその一方で、私にはこれからさらに勉学に勤め、極めていきたい道があり、その狭間に立って悩んでおります。」

 この質問の学生に対し山本五十六の話したことは、

「戦争はいつか終わる。その時のために君たちはいま一生懸命勉学に励み、将来の日本の復興のために力を尽くしてもらいたい。」

 きっと、この質問をした学生の気持ちは、その時講演を聞いていた長岡中学の学生全員の思いであったのであろう。もちろん、先代もその一人であった。

 当時の日本でこのような質問を発した学生も、またそれに対し、一人の先輩として真摯に応えた山本五十六も実に立派であった。 その場におられた先代は、この時を若かりし時代の一生忘れられない思い出としておられたのであろう。

 先代は大正14年の生まれ。 動乱の昭和とともに生きた証人であった。

きのう、南魚沼市のトミオカホワイト美術館近くから見た八海山
田掻き馬の雪形が見える