雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

節分

今年の節分はいつもより1日早い2月2日であった。

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我家の豆まきグッズ

 暗くなってから恒例の豆まきをする。 庭の雪の山に向かって豆を投げる。

 以前は、クルちゃんが鬼役となって、張り切って豆まきについて回り、投げた豆を端からボリボリと食べるのを楽しみにしていた。

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鬼の役が投げた豆を食べている

 昔、新潟に勤務していた頃、行形亭(いきなりや、老舗割烹)主人の主催で毎年節分の夜に豆まきの会があり、その日は従業員が総出で鬼や七福神の格好をして座敷に現れ愉快な夜を過ごしたものであった。 この時にもらった裃や鬘(かつら)をその後何年も家での豆まきに使っていたが、そのうちに破れてしまった。

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昔の行形亭での節分の会

 この時のメンバーであったNTT東日本新潟支店の井伊基之支店長(後列左から4人目)は去年NTTドコモの社長に就任された。 井伊大老の子孫で恐ろしく元気で明るい人である。

 節分で思い出したのが永井龍男の「落ち葉の上を」(朝日新聞社 1987)におさめられた「豆をまく」という随筆で、鎌倉の寒い谷戸の家に住む老人夫婦の暮らしが熟達の筆で書かれている。

 二月に入り節分、立春と、長い寒さの中で一息つく気になるが、これは陰暦の上の云いならわしで、春はまだまだ遠い。われら老人が過去の結核を思うことは、現在跳梁をほしいままにしているガンに思いを及ぼすと同様な苦痛を身におぼえる。私事ながら、つい十二月中には、私も身内の壮年者をこのために失ったばかりである。この節分には、谷戸の山へ向く雨戸を開き、渾身の力をこめて豆をまこうと思う。もちろん老人の身をかばうのではない、働き盛りの人を守りたいからの神だよりとしてである。

 東京から鎌倉へ移って五十年、私は毎年この夜は豆をまいてきた。おろかと嗤う人もあろうが、この夜だけは戸外へ向って大声を発しても、近隣は大眼に見てくれる。ありがとうございます、最後の分はみなさんの御健康、御安泰のためにまきますと胸に唱えて福をいのり、私の慣例を了る。

 向う山の上に月のある夜があるし、星のきらめく宵もあった。

 残雪の明るい夜や、竹林に雨風の鳴る夜もあった。

 その空から、帰雁の声らしいもの聞く夜すらあった。 ・・・

 

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