雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

帰敬式

 先日、東本願寺の三条別院(三条市)にて帰敬式を受けて来た。 11月5日から8日まで三条別院では親鸞聖人の命日にあわせ報恩講(俗にいう「お取り越し」)の法要が行われており、それに合わせて帰敬式を受けられるものである。

 帰敬式とは、お釈迦様の弟子(仏弟子)となり法名を授かることであり、おカミソリとも言う。 普通、当人の死後、お通夜式の前に菩提寺の住職が「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」と唱えながら剃刀をもって頭髪を剃るマネをすることをもって仏弟子となり浄土へ旅立つのであるが、本来は生前に本人の意思によって受けるものとされている。 確かに死んでから自分の意思に関わりなく仏弟子となるというのもおかしな話であり、これは自分の意思で受けるべきだと考えた次第である。 

 当日は、「初日中法要」という大勢の僧侶による法要が雅楽も交えて長々と続き、その後、本山からやって来た大谷何とかという偉い坊さん(と言っても黒々とした頭髪をオールバックにした若い人)により帰敬式が行われた。

当日は県内から24名の門徒が帰敬式に参加した

東本願寺大谷鍵役による帰敬式

 帰敬式を受けると「釈何々」という法名が授けられる。 普通、菩提寺の住職が当人の俗名から一字を取ってつける例が多いが、私は住職に頼んで俗名をそのまま法名としてもらった。 これなら浄土に行った後も(残された者にとっても)よろず分かりやすいであろう。 以前、奈良の室生寺に旅行した時に、五重塔の脇からすこし登ると「大僧正何某」と刻まれた墓石があって、この何某が私と奇しくも同名で、なるほど、大僧正と同じ名前なら法名にもいいのではないか、とかねがね思っていたのである。 住職には悪いが、死んでから変な法名をつけられるより、自分で気に入った法名にした方が納得がいくというものである。

 さてこれで何時お迎えが来ても慌てずに旅立ちが出来る。

報恩講のお弁当でお昼