雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

昭和45年11月25日

 

f:id:setuyaan:20201124225321j:plain

自決を前にバルコニーで演説する三島由紀夫

 三島由紀夫楯の会の会員とともに市ヶ谷の自衛隊に立てこもり、バルコニーでの演説の末自刃してから50年が過ぎた。 この年は私が大学を卒業し、新入社員として社会に出た年であったが、あまりの衝撃に頭の整理がつかず、翌日は会社を休んだほどであった。

 あの時の衝撃は、それまでどんなに三島が奇矯ないでたちや言動をしていても、それは彼の作り上げた華麗な文学作品の延長であり、虚構の世界における出来事としてとらえていたものが、突如として現実の世界に彼自身の死という形をもって投げ出され、目の前に言いようのないグロテスクな事実を突き付けられたことにより、自分の心の中でそれまでの三島が作り上げてきた虚構の世界と目の前に発生した現実の世界とのつながりがつかず、解釈不能な状態に陥ったことによるものであったと思うのである。

f:id:setuyaan:20201125140350j:plain

三島由紀夫豊饒の海」四部作

 三島の最後の作品である「豊饒の海 四部作」(「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」)の単行本は死の前年である昭和44年1月から順次刊行されたが、私はその発行を待ちかねるようにして買い求め、45年7月に出た第3巻の「暁の寺」を読了した時点で事件は起きた。(第4巻の「天人五衰」は46年2月の刊行)

 「春の雪」の雅な恋の世界に生きた貴公子が、転生によって「奔馬」以降の主人公に生まれ変わっていくという四部作の構成はロマン性の高いものであり、特に「春の雪」と「奔馬」は三島の処女作である「花ざかりの森」の世界に通うところがあり、強く引き込まれた。

 「春の雪」の最後の場面

 一旦、つかのまの眠りに落ちたかのごとく見えた清顯は、急に目をみひらいて、本多の手を求めた。そしてその手を固く握り締めながら、かう言った。

「今、夢を見てゐた。又、會ふぜ。きっと會ふ。瀧の下で」

 本多はきっと清顯の夢が我家の庭をさすらうてゐて、侯爵家の廣大な庭の一角の九段の瀧を思ひ描いてゐるにちがひないと考えた。

-歸京して二日のちに、松枝清顯は二十歳で死んだ。

 「奔馬」の最後は、清顯の生まれ変わりである飯沼勲が財界の黒幕を殺害し、自刃する

 勲は濕った土の上に正座して、學生服の上着を脱いだ。内かくしから白鞘の小刀をとり出した。それが確かに在ったといふことに、全身がずり落ちるやうな安堵を感じた。

 學生服の下には毛のシャツとアンダー・シャツを着てゐたが、海風の寒さが、上着を脱ぐやいなや、身を慄はせた。

『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、かがやく海もない』と勲は思った。

 シャツを悉く脱いで半裸になると、却って身がひきしまって、寒さは去った。ズボンを寛ろげて、腹を出した。小刀を抜いたとき、蜜柑畑のはうで、亂れた足音と叫び聲がした。

「海だ。舟で逃げたにちがひない」

といふ甲走る聲がきこえた。

 勲は深く呼吸をして、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突っ込んだ。

 正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。

 「春の雪」と「奔馬」の引き込まれるような魅力に比べ、続く「暁の寺」と「天人五衰」は何か乾いて殺伐とした筆致で、期待して読み続けてきた者をはぐらかし、いつの間にか正に月の海の一つである「豊饒の海」と呼ばれる何もない砂漠に連れていかれたような寂寥感に包まれて終わる。

 これが三島の最後の荒涼とした心境を表しているのか、それともそもそも「豊饒の海」全巻が豊かな物語の世界を否定するために書かれたものであるのか、わからない。

 「天人五衰」は次のように幕を閉じる。 50年前の今日の日付をもって。

 これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。數珠を繰るような蝉の聲がここを領してゐる。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は來てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。..........

                               「豊饒の海」完。

                          昭和四十五年十一月二十五日

f:id:setuyaan:20201125140521j:plain

三島瑤子夫人の手になる「天人五衰」単行本のカバー