雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

小寒

 今日は寒の入りであるが、少し寒気も和らぎ雨となった。

 正月休みが明けて周りも動き出したようだが、積もった雪が車の騒音を吸収してくれて、庭にパンを求めて集まる鳥たちの声のほかは静かな一日である。

f:id:setuyaan:20210105184104j:plain

 午後は狭い書斎でモーツアルトのピアノ協奏曲第23番K488、蕭条として流れていく第2楽章を聴きながら岩本素白(1883-1961)の随筆を読んでいると、私の求めてきたのはこのような時間だという思いが強く湧いてきて、何を成し遂げるものでもないこれからの日々を生きていくための導きを得たような気がした。

 岩本素白「遊行三昧」(1937年1月)より

 元より体は極めて弱い。単に弱いというよりは、暑さ寒さ気象の変化、飲食坐臥の瑣事までも、ひどく身にこたえる体なのである。随って、万巻の書を読まずんば須(すべか)らく千里の道を行くべしというような威勢のよいのではなく、ひどくつまらぬ処をぶらぶら歩くのである。それでいて、ただぶらぶら歩いてさえいれば気持ちが好いのである。深く自然を愛する等というような高尚なことではなくて、生来の疎慵(そよう)から人事の煩わしさを放擲している形である。いやもっと正直に言えば、読もうとしている本がむずかしくて行詰ってしまったり、読めても根(こん)が続かなかったり、書きたいものがあっても筆が思うように動かなかったり、そんな心のもやもやが、私をして飄々と歩き廻らせるらしい。   

f:id:setuyaan:20210105185318j:plain

池内 紀 編「素白先生の散歩」(みすず書房、2001)