雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

藤森照信の建築を訪ねる

 先週は、テルボこと藤森照信の建てた建物を訪ねて、諏訪から浜松を巡る旅に出かけて来た。藤森氏はもともと建築史家で「日本の近代建築 上・下」(岩波新書 1993)や建築探偵シリーズ、路上観察学会活動で世に知られるが、後年、自ら設計したユニークな建物を作る方でも知られるようになった人である。

 まずは藤森氏の生まれ育った茅野市宮川の高部という集落へ。 中央自動車道の諏訪インターチェンジから降りて、諏訪大社上社の本宮と前宮の中間に位置する。

●「神長官守屋(じんちょうかんもりや)資料館」(1991)

神長官守屋資料館 (茅野市のHPから) 右側が入口

 この建物は藤森氏の記念すべき建築第1号である。守屋家は代々、諏訪大社の祭祀を司る家柄で、その家に伝わる古文書等を収蔵する資料館を茅野市がつくるにあたり、藤森氏に相談を寄せたことがきっかけで、当初は自分で設計するつもりはなく、誰に依頼すればいいかと考えたものの、

 守屋家の歴史の古さを考えたら、モダニズムで作ることは絶対にやってはいけない。この土地の歴史や風土をよく理解してつくらなければ、神様に失礼にあたる。私自身も、山の裾に広がるふるさとの景色の中にモダニズム建築が建っているさまを、実家に帰るたびに見たくはないと思いました。(「藤森照信 建築が人にはたらきかけること」(平凡社 2020)

 と考え、結局自分自身で設計し建てることになったという。

 建物は資料館という役割から内部の躯体は鉄筋コンクリートであるが、外部は屋根に地元産の鉄平石、壁には藁の入ったモルタル・土塗と自然素材で仕上げ、この地の風土から生えてきたように融け込んでいるとともに、いにしえから続く守屋家の古錆びた歴史を想起させるものがある。

資料館内部の気味の悪い一隅 神事に使われた動物の頭部などが展示されている

●「高過庵(たかすぎあん)」(2004)と「低過庵(ひくすぎあん)」(2017)

高過庵 2本の栗の木の上に建つ

 高過庵と低過庵それに後述の空飛ぶ泥船は、いずれも神長官守屋資料館から少し山の方へ上がった藤森氏の実家の畑だったという所に建てられている。いかにも山の腕白どもの作った隠れ家といった非日常性が面白い。

 高過庵は、その名のとおり何と6.4mの高さの茶室に梯子を掛けて登る。眺めはいいだろうが、不安定感抜群で下から見上げるだけでも恐ろしい。

低過庵 半ば土に埋まっている

 低過庵は、縄文時代の竪穴式住居をイメージして作ったという建物で、外から見る限り土中に半ば埋まって朽ちかけているのではないかと思わせる。(2016年竣工でまだ新しい) 中に入ると非常に落ち着くと藤森氏は言っているが、閉所感は抜群であろう。

●「空飛ぶ泥船」(2010)

青空に浮かぶ空飛ぶ泥船

 両側の柱からワイヤーで吊るされて青空に浮かぶ姿は宇宙船のようで、山の雑木の中から突然これが現れるとシュールな世界に迷い込んだ気持ちになる。 部屋の中には暖炉もあるという。

●「五庵」(2022)

五庵(移築後)

 この五庵と次の高部公民館は、神長官守屋資料館の管理人の人から、つい最近できた藤森建築があると教えてもらって発見したもの。 いずれも資料館から徒歩数分のところにある。

 五庵は、2021年の東京オリパラに合わせて作られた9つのパビリオンのひとつで、新国立競技場の脇に立っていたのだそうな。 すべてのパビリオンはオリンピックの終了とともに撤去されたが、藤森氏作成の五庵はここに移築されたという。

東京にあったパビリオン時代の五庵

 

パビリオン五庵の設計スケッチ

 これを見ると、パビリオン時代の五庵は1階内部の梯子を上って2階の茶室に「にじり上る」構造であったものが、移築後は、1階が取り払われ、茶室部分だけが地上の岩に立つ4本の鳥の脚のような木の上に乗っかっている。 信州の風が気持ちよく茶室の中を吹き抜けていくことだろう。

●「高部公民館」(2021)

高部公民館

 神長官守屋資料館の前を通る街道沿いに藤森氏のプランにより最近建て直された高部地区の公民館で、壁には焼杉板を使い、火の見やぐらを偲ばせる半鐘が屋根を貫く2本の木に吊るされている。

藤森氏による高部の地図 藤森照信作品集から

 以上で諏訪・高部地区の藤森建築探訪を終え、中部横断道を走って一路今夜の宿「亀の井ホテル焼津(旧かんぽの宿焼津)」へ。

”見よ東海の空あけて” 翌朝の宿から眺める焼津の朝の海

●「秋野不矩美術館」(1997)

秋野不矩美術館

 2日目は宿を出て新東名を疾走し(120キロ制限)、浜松市天竜区秋野不矩美術館へ。 昔、私の友達が大谷大学在学中に秋野不矩さんの息子の等さんと仲が良く、その縁で等さんの焼いた茶碗や徳利を頒けてもらったことがあったが、当時は等さんのお母さんが高名な日本画家だとはつゆ知らなかった。

 ちなみに、藤森氏は京都の秋野等さんの自宅(お寺)の茶室(矩庵)も作っている。

 テーマは土と漆喰。秋野不矩(1908-2001)が自分の美術館にふさわしい建築家を探しているとき、神長官守屋資料館を見て、私に設計を依頼して来た。 秋野は京都を本拠に活躍するにに日本画家だが、日本画が得意とする日本の温暖湿潤な風土に合った花鳥風月を描くのをなぜか嫌った。 日本の風土とは正反対のインドの光景を描くのを好み、代表作もインドを描いたものが多い。

 その秋野が私を選んだのは、神長官守屋資料館の表情の中にインド的というか中央アジア的というか乾いた空気を感じ取ったのかもしれないし、秋野が好んで使う粒の大きいザラッとした岩絵の具と同じ感触を、私の作品の仕上げの中に見出したのかもしれない。(藤森照信作品集 TOTO出版 2020)

美術館には靴を脱いで上がる 大展示室の床は大理石で白一色の空間に絵が展示される
美術館のHPから

美術館の内部吹き抜け

美術館のベランダから望矩楼という茶室を望む

 11月27日までは54人の作家による源氏物語五十四帖の絵が展示されている。 画風もさまざまであるが、54枚の日本画を見て回ると源氏物語の世界に入っていくことができる。 展示の隅にお線香の松栄堂の紹介写真があったので、美術館の人に聞くと、今回の展示物は、松栄堂が54人の画家に依頼して作ったコレクションなのだという。 お線香恐るべし。

 次回は秋野さんのインドの大作をぜひ見に来たいものである。

 美術館を出ると駐車場に古いVWカルマンギアがとまっていてうれしくなった。

納涼亭から眺める天竜

 旅の終わりは、美術館の近くの天竜川を眼下に望む「納涼亭」でうなぎを食べて、心もお腹も大満足で家路についた。

今回の旅行のお土産 秋野不矩美術館のトートバッグ