雪夜庵閑話

俗世を離れ、隠遁生活を始めた団塊世代です

手形とソロバン

 経産省が5年後の2026年をめどに、約束手形の利用を廃止することを求める方針を決めた、とのニュースを見て若干の感慨を覚えるものである。

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 記事によれば、約束手形は支払いまでの期間が長く(平均は100日とのこと)、中小企業にとって資金繰り負担が重いことが廃止理由に挙げられていたが、一番の理由は銀行の事務負担軽減であろう。手形という現物を期日管理し、支払い場所に送付・提示するには膨大な事務負担がかかり、昨今の銀行を取り巻く環境からしてとてもやっていられないということであろう。

 私にとっては、手形はソロバンとともに社会人1年生時代の苦い思い出の象徴であった。何しろ、朝から晩まで手形の山を相手にソロバンで格闘するのである。手形でも上のひな形のように金額がきれいにチェックライターで打ってあればまだしも、手書きの癖字で「金壱百弐拾参萬四千五百六拾七円也」などと、江戸時代に戻ったかのようなものが多々混じっているのである。おまけにソロバンの腕の方はと言えば、就職が決まってからあわてて習いに行ったようなありさまで、やれどもやれども計算は合わず、空しく日は暮れ、こんな毎日がこれからずっと続くのだろうかと絶望的になったことであった。

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苦楽を共にした思い出のソロバン

 幸いにして、見かねた上司がこれでは商売にならぬと別の仕事に回してくれて助かったが、社会の入り口にして「世の中恐るべし」の思いを抱かせるに十分なものであった。

  ところで、手形は貰う側にとっては期日までは金にならず資金繰りの負担であるが、他方、発行する側にとっては、逆に期日までの支払いが猶予されて資金繰りは楽になる訳で、手形自体をいいとか悪いとかいうものではなかろう。  

 ただ昔から手形は怖いものと言われていて、期日に支払われない「不渡手形」(1回でも不渡りを出せば世に知れ渡り、2回目で銀行取引停止)、支払人と受取人がグルになって資金繰りのために取引実態のない手形を発行する「融通手形」、ベラボーに期日の長い「台風手形」(210日)や「お産手形」(10カ月)などなど、とかく後ろ向きのイメージではあった。

 今後手形がなくなれば手形に代わるものとして、既に「でんさい」と呼ばれる電子記録債権があるが、資金繰りの点での苦労は手形と変わりはない。 手形という現物がなくなってコンピュータの管理する債権に代わるだけである。

 ソロバンの方は、幸いにも私が社会に出た頃から急速に加算機や電卓そしてコンピュータに取って代わられ、今や昭和の遺物として、実務の世界ではほとんど目にすることはなくなってしまった。(私が時々診てもらいに行く小医院の窓口のご婦人が、何と五つ玉のソロバンをお使いであることを除けば)

 そう言えばこんな人もいたっけ


トニー谷